虚無感の中で

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7月28日 月曜日
【インド】 コルカタ





目が覚めてもベッドの上でもぞもぞしながら考えていた。

昨日のおじさんの言葉。

お前がここで金を稼ぐのは良くないことだ、とあのインド人のおじさんは言っていた。

それがずっと引っかかっている。




俺がやっているのは路上パフォーマンス。
路上で歌って少しの娯楽を提供し、お金の余裕のある人がいくらかの気持ちを置いてくれる。
物乞いでは断じてない。

俺がクソつまらない芸しか出来なければお金なんて入らない。



しかし見ようによっては物乞いの人たちのショバを荒らしている外国人という捉え方をする人もいるだろう。
それがあのおじさんだと思う。

では俺が歌うことで周辺の物乞いの人たちに入るお金が減るかというと、そんなことはないだろう。
物乞いに落ちるお金と俺のパフォーマンスに入るお金はまったく別物だ。

物乞いの人たちは、どうしてこいつはこんなに稼ぐのに自分たちは………と恨めしく思うだろう。
もっと稼ぐための努力などなにひとつしないのに。







なんだかモヤモヤが取れなくてベッドからガバッと起きた。

喉が痛い。歌いすぎたのと風邪のせいで喉が完全に潰れていた。
こいつはとても歌えない。

でもこのモヤモヤをどうにかしたくてギターを持って宿を出た。








photo:01



サダルストリートを抜け、いつものパークストリートにやってきた。

月曜日の通りには昨日よりもたくさんの人が歩いており、このまま歌えばそこそこ稼げそうだ。

でも今日はそんなつもりはない。
人波をかき分けてキョロキョロしながら通りを歩く。




そして向こうの方に1人の物乞いの女の子を見つけた。
昨日、歌ってる俺のそばにいて風船を売って歩いていたあの女の子。

折り鶴をあげた俺のことを覚えていて、パッと笑顔になって近づいてきた。

その笑顔はどこにでもいる無邪気で人懐こい子供のものだ。俺に少し心を開いてくれてるよう。

今日は風船ではなく小さなガムを持って売り歩いていた。


今日はこの子のことを探していた。







ちょっとこっちに来なと呼び、歩道の端っこに一緒に座った。

今日は何をくれるのかな?みたいにワクワクした顔の女の子。

歳は8歳だがなかなか上手い英語を喋る賢さがある。




この子に歌を教えたい。
1曲でいい。
パフォーマンスすればお金がもっと稼げるということを知ってもらいたい。

とても簡単で、メッセージのあるイマジンを覚えて弟と一緒に路上で歌っていけば、きっと何か違う展開がおきるはず。

そりゃ最初は下手だろうから、物乞いの延長みたいにしか見られないかもしれない。
そんな子供たちも世界中でたくさん見てきた。

でも、何年も練習して、曲をもっと覚えて、いつか楽器も手に入れて一生懸命歌っていけば、必ずガムや風船を売ったりするよりも大きなお金を稼ぐことができる。

音楽はすごいってことを知ってもらいたい。

そのほんの小さなきっかけでいいから、音楽に触れてもらいたい。




女の子に持ってきたイマジンの歌詞を書いた紙を渡した。

あまり乗り気ではない女の子。
なんだ、何かくれるんじゃないか、といった表情。


強引でもいいからとにかくちょっと歌ってみようぜとギターを弾いてメロディを教えた。

歌詞カードを見せながら歌って聞かせるが、大事なことを忘れてた。

いくら賢いこの子でも、彼女の英語は路上で覚えたものであって、リーディングは出来なかった。

英語を読むことができない。
俺が強引に教えようとしてもあまり興味を示してくれない。


「んー、フミ、明日にしようよー。」


「最初は難しいかもしれんけど、もし歌を覚えたらすごく稼げるし家族を助けてあげられるんだよ。俺がゆうべたくさんお金をもらってるの見ただろ?」


「んー……でも明日でいいかなぁ。」



おそらくイマジンの原曲は知らないはず。
でも俺が歌うと、その後を上手に追いかけて歌うことができる。
きっと1週間も練習すればマスターできる賢さをこの子は持っている。

美人な顔立ちをしているし、そこらの物乞いの子にはないある種の品さえ感じる。

なんとか興味を持ってもらいたいんだが………



「分かった、じゃあ明日な。」


「うん!!明日ね!!」



そう言って可愛らしい笑顔を残して女の子はまたガムを持って人ごみの中を歩いて行った。









何も手応えを感じることができずに無力さにやるせなくなってぼんやりと座っていると、いろんな人が声をかけてくれる。

もう2日ここで歌っているので、通りのレストランやカフェの店員さんやマネージャーたちと顔見知りになっており、まぁチャイでも飲もうぜと誘ってくれる。



「さっきはあの子と何してたんだい?」


「歌を教えようと思って。そしたら彼女たちももっと稼げるし、町の雰囲気もきっと良くなるから。」


「うん、それはいい。グッドアイデアだよ。音楽は素晴らしいもんな。でも、なかなか難しいことだと思うけどね。」



みんなでチャイを飲みながら話をして、なんとも言えない気持ちで歩いた。











それからカフェに行ってカースト制度について調べてみた。

インドにはヒンドゥー教に基づいた身分階級がある。バラモンとかクシャトリヤとかのやつ。

5つほどの階級があるようで、1番上はバラモンという聖職を司る人たち。
次に貴族や王族、その下が大衆レベルで、その下になるといわゆる差別を受けるような職業しか出来ない階級になる。
この階級の人たちはバラモンの影にすら触れてはいけないという厳しい差別がある。

しかしさらにその下があって、ここまでくるともはやその存在自体がないものとして扱われるような、いわば動物と同じレベルの階級になるらしい。

そしてこのカーストというのは親から引き継がれるものであって、生まれた時からその階級が決定しているとのこと。

階級だけでなく、大工は大工にしかなれないし、チャイ屋はチャイ屋にしかなれない。
やはり、物乞いも物乞いにしかなれないのだ。


カーストは現世で良い行いをして、生まれ変わった時に来世で上の階級に上がるという方法でしか逃れることのできないものなのだという。




おそらく、道端で物乞いをしてる人たちもこのカーストによって生まれた時から物乞いしか選択肢のない人生を歩んできている。

あの女の子もまたそう。




カースト制度は1950年に法律によって廃止されている。差別も禁止されている。

しかしこのヒンドゥー教が生活の根幹をなしているインドでは未だ厳然とカーストの意識は残っており、階級の高い人たちによる階級の下の人々への暴力やレイプが起こっているとのこと。

文明国として世界の先進国の仲間入りをしようとしているインドでは、なんとかこの悪習を断ち切ろうとはしているが、やはり問題は根深い。

きっと何百年もかかるような問題だと思う。






カーストは親から代々受け継がれるものという文字を読んだ時、ふと今日俺がやろうとしていたことが、愚かしい、出過ぎた行為のように思えた。

インドにはこの人間扱いをされない最下層の階級の人々が1億人もいるといわれている。

どの町でも見ることができる、道端にゴミを積み上げてそこで寝ているような人たちがきっとそうなんだと思う。

GDPが世界10位という国でありながら国民の12分の1が人間以下の生活をしているという現状には、確実にカーストの意識が影響しているとしか思えない。

それが未だにインドの普通であり、罪悪感もなく共存できている理由だろう。


インドというとてつもない怪物は、日本という過保護な国で生きてきた俺にはとても理解しきれるものではないのだ。





あの女の子は幼いながらに理解しているのかもしれない。

いくら努力しても、自分の境遇が何も変わらないことを。

レストランのマネージャーが難しいかもね、と言った言葉にはそういった意味が込められていたのかもしれない。

俺がいくら夢を語ったところで、インドのことを理解していない外国人の戯言でしかないのかもしれない。












虚無感で力が出なくなり、宿に戻った。
薬を飲んでベッドに横になる。



だったら昨日のあのおじさんの言葉はなんだったんだ。

貧しさをカーストのせいにしてしまえば心は痛まないのか?

彼ら貧しい人たちの真横でステーキを食べて車に乗ってるインド人と俺にどんな違いがある?



ああ、喉痛い。

もう3時だ。寝よう。








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